広元千仏崖→→明月峡→→定軍山→→武侯墓→→陝南武侯祠→→馬超墓→→読書台
広元千仏崖/仏のるつぼ
コピーは「歴代石刻芸術博物館」。博物館といっても建物があるわけではなく、嘉陵江の東岸(左画像の右端は川、崖と川の間に道路)の崖に、何年・何世紀にもわたって刻まれた石仏がある…そういう場所です。時代は北魏末から清まで。つまりここは三国志と関係ない所ですが、自分としては全然オッケー!
石仏の年代分布は、唐が一番多いです。北周・隋の頃が発展期、唐が最盛期、五代十国の頃には衰退、その後は細々と続いてたらしいです。「千仏崖」という名前ですが、数は大小合わせて7000程あるんだとか。石窟の数はおよそ400で、四川省では最大規模とのことです。
色々な時代がごちゃ混ぜなので、時代による仏の造形が違いがよく分かって面白いです。隋はほっそりシンプル、唐はふくよか…といった流行どころから、技術の進歩と思われるものや時代背景を映したものなど。
ただ、野外にあるものなので、風雨による痛みがどうしても…。第一批全国重点文物に指定されてはいますが、今後の心配な場所ではあります。
入場料/10元
明月峡古桟道/風光明媚・道路狭小
千仏崖と同じ嘉陵江を北上すると、蜀の桟道がある明月峡があります。桟道はもちろん観光用に再現したものですが、木を差し込むために崖面に彫った穴は当時のものらしいです。ただ、桟道自体は春秋時代から使われており、いつ彫られた穴かはよく分かりません。
こんな絶壁にどうやって彫ったのかという話が出まして、「地道に上から・下から」だそうです。そりゃそうなんですが、ここでも当時の苦労がしのばれまくります。当時は落下防止の手すりも無かったはずで。桟道自体も狭く、すれ違うのがやっと。剣門関といい、「景色絶好・道狭い」な感じですね蜀軍。これを延々と馬や徒歩で進軍していこうというのですから、「北伐成功する気が全然しねぇ!」と改めて思いました。進軍だけで消耗します。その辺計算して行ってたと思いますけど、それでもさすがに。
ここには遊覧船もあって、川面から桟道を見ることもできます。水面をわたる風がいい感じです。
明月峡の名前の由来は、諸葛亮の侍童2人の名前だそうです。女の子が「明月」、男の子が「清風」という名だったとのことで。女の子の名前だけがそのまま付いてるような気がしなくもないですが。諸葛亮の死後に成都へ帰還するときに、2人がここで身投げして後追い自殺したとのことで。
この後ひたすら山道を行き、四川省とお別れです。
食事の味も北上するにつれて変わっていき、辛さが前面に出る四川料理から、香辛料が結構効いた(でも辛くはない)陝西料理へ、徐々にシフトしていきました。麺も出てきます。最初の頃は小食だったのでそういう人なのかと思っていたドライバーのLさんが、陝西省が近づくにつれ食欲が増していき、漢中に戻った頃には普通に食べていたのが面白かったです。郷土の料理が一番ってことですね。
入場料/15元
定軍山/最初に思い浮かんだ人の名は
ここから陝西省です。漢中に入ってきました。
劉備は、ここの王だと宣言したんですね。
左画像の、一見なんの変哲もない緑の茂りまくった山、しかしこれが定軍山! 草木に埋もれて分かりづらいですが、画像左側に石碑が見えてます。右奥の山に黄忠とか劉備とか…蜀軍が布陣したそうです。
ここはもう説明不要だと思いますので概要は省略します。定軍山と聞いてまず誰を思い出すかで結構好みが出ますが、やはりここはまず夏侯淵を推します個人的に。山から少し離れた平地らしき場所(下画像)を「ここに夏侯淵たちが陣を敷きました」と指差されたのですが、曇って霞んでるんだか霧がかかってるんだかで、やや朧でした…。
そんな朧な定軍山と周辺はこんな感じです。
この定軍山、「山」と付くだけあって、民家もまばらな場所にありました(といいつつ画像の下部には民家が写ってますが)。車が途中までしか入れなくて、草木をかき分け歩いて近づいていきました。天気があまり良くなくて、道もややぬかるみ気味でした。
中国は8月は雨季なんだそうです。
武侯墓/熱きモデラー魂
定軍山からそれほど離れていない場所に、武侯・諸葛亮の墓があります。
右画像は、武侯墓の施設としての正門。右隅の石碑には「武侯墓」と書かれています。墓という施設名ながらも、敷地は広く公園のようでした。広さ24万平方メートル…ってマジですか? 日本と単位が違うのか、中国は何でも大きいのかよく分かりません。
メインはもちろん武侯の墓ですが、同じ敷地に記念館が併設されていまして、数々の有名場面がフィギュアで再現されていました。武将たちだけでなく兵士もしっかり配置されまくり、登場人物数の多さに感動です。作った人々偉すぎです。定軍山お約束の、黄忠が夏侯淵を斬ったシーンをはじめ、「泣いて馬謖を斬る」のシーンとか、木牛・流馬作ってるシーンとか、諸葛亮の葬儀シーンとか、魏延が斬られるシーンとかが迫真の勢いで再現されています。
せっかくなので、迫真のフィギュア群の写真。
左画像=黄忠が夏侯淵を斬る。夏侯淵がかなり無双顔でした
右画像=木牛・流馬製造現場。左後方に完成品
左画像=諸葛亮の葬儀。参列者の格好がそれぞれ微妙に違ったりする
右画像=馬岱が魏延を斬る。魏延の顔が刃に隠れて見えず
入場料/30元
陝南武侯祠(漢中武侯祠)/お約束満載司馬懿逃走
武侯祠といえば成都のが有名ですが、漢中にも武侯祠があったんだ! 今回のツアーに組み入れられてるのを見るまで存在を知りませんでした。
画像は「空城の計」を行ったとされる場所です。そう説明を受けました。
楼閣の2階には、劉備から諸葛亮に贈られたという石琴が飾られ、裏側の外壁には、静かに琴を弾く諸葛亮の絵。お約束のように、「うろたえる司馬懿と息子たち」も描かれています。しかも諸葛亮の表情がなんだか得意そうに見えるのは何故だ。
そんな司馬懿と息子たちの画像など。
左画像=姜維像。彼の像だけ足元に黄色い薔薇が
中央画像=司馬懿と息子たち
右画像=琴を弾く諸葛亮。なぜか笑顔
武侯祠お約束として、蜀の武官・文官像ももちろん設置されていました。約20体。
蜀臣像については2008年に再訪した際の旅行記に記述があります。
→蜀臣像全掲載ページ
※蜀臣像についてのリンク先は2008年訪問時の内容です。今回(2005年)とは異なる部分があります
武侯祠構内では、武侯祠の一部の絵を手がけたという画家が展示即売会を行っていました。プロの仕事の細かさと神レベルの絵に感嘆してきました。画家本人もいて、絵を描いてました……兼・工房なんでしょうか。
入場料/11元
馬超墓/諸行無常の響きあり
馬超の墓は、武侯祠から歩いて500メートルくらいのところにありました。
はい、歩いていったのです。同じ道路沿いにあったので車で移動する予定だったようですが、Lさんと車が行方不明…。給油に行ったらしいです。
ここも正門+廟+墓の3点セット。廟の向こうに墓があります。しかし、墓本体周辺には結構な勢いで雑草が生い茂り、寂れてる感がかなり。いや、墓が栄えるってのも変な話ですけど…当局が力を入れて整備するほどの人は訪れない場所のようです。
左画像=廟の中の馬超像。左はホウ徳、右が馬岱
右画像=墓全景。周囲は草茫々…中央にある石碑の字も薄くなってて読めない個所あり
ちなみにこの辺りの民家のトイレの真下には家畜がスタンバイしておりました。
入場料/4元
読書台/トウモロコシ畑の中で・その2
右画像は読書台遠景。
圧巻と言っていいくらいのトウモロコシ畑の中にありました。例によって車はそばまで入ってこれず、途中から徒歩&山登り。トウモロコシをかき分けてようやくたどり着きました。ちゃんと碑のところまで接近することはできましたが、やっぱりトウモロコシかき分けかき分けで。トウモロコシに埋没気味です。
碑のところだけ高台っぽくなってますけど、階段もないので一生懸命登りました。これはこれで楽しかったです。この旅行に来て、トウモロコシ畑ってものを初めて見たんですよ私は。右側には何気に送電線。
この石碑の向こうに陽平関が望めまして、反対側(デジカメを向けている私の後ろ側)は臥竜崗が見えます。…見えるらしいです。だんだん天気がよろしくなくなってきました。
夜/トホホとしか言いようがなく
この日の観光はこれでおしまい。行った場所の数が多かったです。宿泊は漢中市の金江大酒店(三星級)。しかしここもシャワーの出し方に怪力が必要だった気がします…。シャワー出せる力がなく、普通にバスタブにお湯入れて入ってました。トホホ。
そんなわけで今日の絵付覚書→コレ。