3日目・一大山場の剣門関

七曲山→→翠雲楼→→姜維墓→→剣門関→→昭化古城

梓潼七曲山大廟/神様2人

七曲山綿陽市から北に約56キロ。ここは、文昌帝君という学問の神様が祀られているところです。合格祈願ならこの神様ということで、日本における菅原道真公のようなものかと。

「なんだ、それって三国志と関係ないじゃん」となりそうですが、ここに関帝廟もあるのでした。高さ5メートルの金箔関聖帝君像があるとか! 文の神様・文昌帝君と、武の神様・関聖帝君とを祀って、文武をカバー!という感じです。中国の他地域や台湾・香港でも、この2人の神様を一緒にお祀りしてるところが多数あるようです。

で、文昌帝君はもともと四川の地方神だったのが、次第に広まっていったようなのですね。中国の神様としてはメジャー級です。ガイドさんによれば、もとは西晋の人らしいのです。神様としては、北斗七星のそばの6つの星が神様になったということのようです。この辺難しいです。よく分かりません;

翠雲楼/柏の木は残った・その2

柏の木主にここは張飛スポットです。

張飛が日よけに植えた(いや、「植えさせた」だろうな多分)柏の木1700本が今もあるそうで、並木道になっています。他にも、行軍中に喉が乾いた張飛が地面を拳で3回殴ったら水が湧いてきた場所というのもあり、そちらは今は井戸になっています。「張飛井」といいます。

さらに、降伏して魏に向かう途中だった劉禅が雨宿りをした柏の木などもありました(写真)。張飛が植えさせた柏の木に劉禅が雨宿りですか?木の横にある碑には、「阿斗柏」とあります。なんだか、いかにも人が納まれそうなスペースが空いてますけども、ここに劉禅がちんまりと?座ってたんでしょうか。

入場料/15元

姜維墓/トウモロコシ畑の中で

姜維墓右端に見えてる板が石碑、中央の木が生えてる植え込みみたいなところが本体。石碑には「漢大将軍姜維之墓」と大きく彫ってあります。

一応「墓」となっているものの、これは衣冠塚でして、本物の墓がどこにあるのかは本気で分からないそうです。写真の左手前に写ってる葉は、トウモロコシの葉っぱです。トウモロコシ畑の中に姜維の墓!

剣閣といえば名物料理の剣門豆腐。墓のそばには豆腐店や住宅が並んでいまして、この日の昼食を「黄忠豆腐名店」というイカシた(死語)名前の店で食べました。個人的にはツアーで食べた料理の中で一番旨かった! もちろん全部豆腐料理ですけど、バリエーション豊かで飽きなかったです。店名といえば、「黄忠豆腐名店」のそばに「姜維楼豆腐店」って店もありました。店のシャッター下りてたのでどんな雰囲気の店か分からなかったのが残念。

それでは自然味あふれる姜維の墓の写真を更にご紹介。

墓の入口 墓のそば 姜維楼豆腐店
左画像=墓の入口
中央画像=お墓のそばまで来たけれど(右の葉の奥に石碑見えます)
右画像=これが姜維楼豆腐店。墓の向かいにありました。人の気配なし。

余談メモ。

本人の墓を前にして、石碑と各々ツーショット写真を撮ってもらう客3名。「いつもネタにして申し訳ありません…」と念じつつ。我ながら…。そこはまあひとつ、生温かい視線でよろしくお願いします。


剣門関/蜀軍一日体験・登山お試しコース

ゲート剣門関。

今更説明不要かと思いますが、魏軍の侵攻に際し、姜維率いる蜀軍が必死の抵抗をした場所です。劉禅からの降伏命令を聞き、剣を折ったとされるのもここです。蜀末で必ず押さえておかなければいけない場所といえます。

左画像は剣門関のゲートを見晴台から撮ったもの。ゲートは山のふもと(といってもこの時点でかなり山に分け入ってるのですが)にあって、山の中腹にリフト乗り場(スキー場にあるようなやつ)があります。

ゲートから乗り場まで登山したのですが、ものすごい急斜面に狭い階段、悪路と言ってもいいくらいの荒れ具合、切り立った崖に沿った細い通路が延々と続いていました。観光用に整備してこういう状態なので、当時がしのばれますよッ!

姜維を筆頭に、蜀軍兵士の体力は相当なものだったんだろうなと。
そりゃ鍾会がなかなか剣閣を攻略できすに帰ろうとするわなと。
さらにそれ以上の悪路を行ったケ艾は本気で只者ではなかったんだなと。

崖なんて完全に垂直で、これを転げ落ちてくって一体…!

登山右画像は、まさにその崖横の細い階段。右下に人がいますが、これは私が上から「見下ろした状態」で撮ったものです。決して平たい道路の上ではございません…。遠くに景色が見えてます。景色はかなりの絶景です、はい。

登るところまで登ってリフトで降りた後に知ったのですが。本来のコースは、ゲート通って、見晴台あたりまで歩いたら引き返して車で移動し、リフトで山を登って景色鑑賞し下山…というコースらしかったですよ! 道理で、降りてくる人とすれ違うばかりで登る人が他にいなかったわけだ! リフトでないと登るのがキツイ場所を自分の足で登っちゃったと。

Mさんが「登ろうよ」とノリで言い出したのが発端なんですが。しかもいつの間に私が言いだしっぺだったことにされてましたが←張り切って登ってた割には途中でヘバってしまったMさんに代わって私が先頭で登ったからか?

急だ崖だ道狭いって散々言ってますが、登ってて楽しかったですよ。旅行で一番思い出深くて楽しかった場所はここですね。あの剣閣だというのが一番大きかったんだと思いますけど、5人でわいわいと登ってましたからねぇ。しかも水売りの男の子も一緒でした。彼の足取りは、それはもう軽く軽く…。

最後に、三国志博士のX先生が言いました。「30年ここを案内してるけど、登っていった客はあなた方が初めてです」。…マジ? 私ら、超ベテランガイドX先生の記憶に残る客になったわけですか? ガッツポーズまでしてくれましたX先生!

そんなわけで、剣門関の写真を多めにご紹介。

ゲートから 登山途中 姜維像
左画像=ゲートからの展望。下中央に見晴台
中央画像=登山途中。通路狭いです;右奥に見える橋を渡ってまだまだ登りました
右画像=ゲートの建物内にあった姜維像。珍しくヒゲなし。黄色い箱は賽銭箱

リフトから1 リフトから2 谷間
左画像=登山後に乗ったリフトから。左奥に小さくゲートが見えます
中央画像=リフトからもう1枚。崖すごいです。ゲートは右に
右画像=こんな狭い通路が当たり前のようにある剣門関って

入場料/30元

余談メモ。

麓には、「鍾会が陣を構えた場所」というのも残っていました。今は公園になってるみたいです。

剣閣県にケ艾の墓があるらしいです。北へは首を送り、残りは…ってことらしいんですが。前蜀(五代十国)の頃には改修されて廟もでき、「彰順王廟」と名づけられたとか。諸葛双忠祠のケ艾と扱いの違いっぷりがなんとも…。墓室もきっちり作ってあって、本格的だったようです。


昭化古城(葭萌関)/うつろうもの、うつろわざるもの

門ここはまたの名を葭萌関。
左画像は拱極門といいます。門の向こうに街並みが広がっていまして。古城っていうから城跡みたいなの想像してたわけですが、普通に人が住んでました。昔の城壁の中に人が住んでるんですね。古い静かな城下町ってカンジで、だいぶ趣がありました。

家の軒先に家の人が皆集まってくつろいでいたり、作業をしていたりで、ホントに都市とは時間の流れ方が違う。紀行番組でよく見かけるような、静かにうつろう、パッと見は変わらぬ暮らしがあるような。で、家の前に人がいる家が多い・しかも何か皆こっち見てる(明らかに異分子ですからね;こういうところって、住人全員が知り合いだったりしますし)…ということは、写真があんまり撮れない&撮ってもネットに上げられないのが多い…ということで、人のいないものを2枚ほど選んでみました。町の中の道路はさりげなく石畳です。情緒倍増。

街並み街並み町の外の高台にはきちんと(?)「葭萌関」「三国重鎮」と書かれた石碑が建っていました。でもきっと、言われなければ、石碑がなければ史跡って気付かないかもです。それだけ人々の暮らしに溶け込んでいるってことなのですね。

さらに、この昭化古城から歩いて500メートルの場所に費禕の墓があります。墓についてる石碑によれば、碑を作ったのは清の光緒30(1904)年。結構最近ですね。墓自体はもっと前からあったらしく、明の頃には拡張されたほど(らしい)。といっても、現存しているのはやっぱり清末のものだそうです。道路際にひっそりとあり、あんまり大きくないです。

余談メモ。

葭萌関の南数キロの辺りに、鮑三娘の墓もあるらしいんですがね。マジですか。


ホテル/受容限度実験?

崖の顔左画像は姜維の墓から剣門関に行く途中で撮ったもの。オマケ画像としてここに追加。
崖のところに人の顔っぽいものがあるのが、お分かりになりますでしょうか。出っ張ってるところが鼻、その左上のくぼみが目と眉。これ、姜維の顔として伝えられているそうです。その名も「姜維神像」。

では、夜のお話。やっぱりネタはありました。

観光を終え、広元市の鳳台賓館に宿泊(グレード不明。多分三星級相当)。昨日はシャワーの出し方がよう分からんというホテルでしたが、この日はさらに上を行きました。

お湯が出ねぇ!

「お湯さえ出りゃいいや」の私もこの日は困惑。ガイドのJさんの説明によれば「広元市のガス設備が故障し、市全域でお湯が出ないそうです」。おおお…ついに来たか。出ないものは仕方ないので、風呂は諦めました。ホテルのサウナ担当のお兄さんがヒマそうでした。サウナ客案内の仕事のはずが営業できないので客が来ず、入り口に立ってるだけが仕事になってしまったようです。照明を落としたサウナでぽつねんと…。

ちなみに、この日は8月16日。新聞は大々的に前日の「日本降伏日」を報道していました。1面全段ぶち抜きの広告なし・写真はカラー。日本国内の終戦記念日記事より扱いが大きかったに違いない。そして「靖国神社にコイズミ首相参拝」も大々的に掲載。中国に居ながらにして日本の情勢が分かるよ! あの・でも、日本の反戦デモとかも掲載してたので、一応そればかりではないと…。あと、小さい扱いではありましたが、テレビで宮城地震が報道されたらしいです。Jさんが見たそうです。

で、3日目の絵付覚書は→コレ。

余談メモ。

広元市は、武則天の出生地だそうで。ホテルの門の裏側に「女皇故里」と大書してありました。父親の武士カク(カクは尋へんに獲の右側)が四川に赴任していた頃だってことですかね。

帰国して2ヶ月ほど経った頃、K首相が靖国へ。8月には行ってなかったらしい…。あの時見た写真入りぶち抜き記事はなんだったんだろうか。その新聞が手元にないから確認のしようもなく。とりあえず、その時あった・思ったことを書いておくってことで訂正削除はせず。


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