鍾会、上司と不毛な応酬をするの巻

司馬昭が、陳騫(陳矯の子)・陳泰(陳羣の子)の2人と車に乗って出かける途中、鍾会の家に立ち寄って、鍾会も同乗するように言いました。

でも、それを聞いた鍾会が家から出てきたときには、司馬昭の車は遥か先。なんと、自分に声をかけておきながら、待たないでさっさと行ってしまったわけです。「なんてこった!」と一生懸命追いかけて、ようやく追いついた鍾会に(どうやって追いついたんでしょう……)、司馬昭は言いました。

「人と一緒に行こうと約束しておきながら、どうしてそんなに遅いのか。待っていたのに、きみは遥遥としていて、一向に来やしない」

これを聞いた鍾会は、ハッとしました。一見なんの変哲もない司馬昭の言葉でしたが、「遥遥」…というのは、彼の父、鍾繇の名前(「繇」の部分ですね)通じる言葉だからです。親の名前を出されることは、侮辱にあたることです。司馬昭、からかって遊んでますね?

が、そこでヘコたれる鍾会ではありません! 彼は答えました。

「矯然(正しく)として、懿実(うるわしく誠実)ならば、なにもわざわざ羣(群れ)をなすことはありませんね」

「矯」は陳騫の父、「懿」はもちろん司馬昭の父・司馬懿、「羣」は陳泰の父の名前です。簡単に返されて、グッ…と詰まった司馬昭は、「これはどうだ」と言わんばかりに、再び鍾会に尋ねます。

「皐繇は、どんな人物だい?」

負けじと鍾会は言い返します。(皐繇というのは、この時代から遥か昔の神話時代にいた王・舜(しゅん)の家臣の名前です)

「上は堯(ぎょう)・舜に及ばず、下は周公旦・孔子に及びません。ですが、彼もまた一代の懿(うるわ)しき人物です」

再び言い返された司馬昭は、黙ってしまいました。

…どっちもどっち?



「排調2」より。
相手の父親の名前で言い合っているわけですね。
相手を下の名前で呼ぶのはとても失礼なうえに、それが父親の名前とくれば失礼の二乗……ワタクシの目には、「ふふん♪」という感じで応酬している鍾会と司馬昭の姿が目に浮かんでしまうのですが。ちなみに「堯」は、舜・禹(う)と並んで「三皇」と称された人です。周公旦は、周の武王の弟です。
この話の最大の被害者は、言うまでもなく、何も言ってないのにとばっちりだけ受けてしまった陳泰と陳騫。しかしもう慣れっこかもしれません。

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