鍾会、罪人の家族を検分に行くの巻
許允が司馬師に殺された後、彼の家にいた食客たちが家まで走っていって、許允の妻にこのことを知らせました。妻はちょうど機織をしていたところでしたが、話を聞いても顔色ひとつ変えずに、こう言いました。
「前からこうなることは分かっていました」
食客が子供に危険が及ばないように匿おうとすると、妻はそれを止めて、
「子供たちのことはお気になさらずに」と言いました。
その後、妻と子供たちは許允の墓所に引越し、司馬師は鍾会に彼らの様子を見てくるように命じました。子供たちの才能が父の許允に並ぶほどのものであったら、捕らえるつもりでいたのです。
それを知った子供たちは不安になって、どうしたらいいのか母親に相談しました。
母親はこう答えます。 「お前たちは優秀ですが、才として備えているものは、それほど多くはありません。心に思っていることを、自分の気持ちに従って話せば、なにも心配することはないですよ。極端に哀れみを乞う必要もありませんし、鍾会が話をやめたら、お前たちもやめるように。それから、あまり朝廷のことを尋ねたりしてはいけません」
鍾会がやって来ると、子供たちは母親に言われた通りに振る舞い、鍾会は帰って見聞きしたままを復命しました。そして、子供たちは逮捕されることはありませんでした。
…見たままを見て…?
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「賢媛8」より。
この話は、正史(夏侯玄伝付)にも「魏氏春秋」からの引用として出ていて、オチに「鍾会の人物鑑識眼も、賢婦の知恵にはかなわなかった」と付け加えられていたりします。子供たちは本当にボンクラだったのか、「能ある鷹はナントヤラ」で入れ知恵しておいたのか…。
このオチの付け加え方を見ていると、前の話の荀勗の件といい、「詰めが甘い鍾会」っていうキャラが確立されていく過程が分かるエピソードな気がします(笑)。