3日目・町おこしのはずが

伏羲廟→→麦積山石窟→→街亭→→高速鉄道宝蘭旅客専用線→→蘭州市

伏羲廟

伏羲廟入口天水関連でもっとも知名度が高いと思われる人物が中国の三皇の1人・伏羲。市内には彼を祀った廟(天水市秦州区)があります。創建は15世紀・明の成化年間と古く、伏羲を祀るものとしては中国国内でも最大規模ですとか。天水市の至る所に「伏羲故里」と書かれた看板がありました。甘谷県あたりではもちろん「姜維故里」看板も。

伏羲は漢民族の祖先であり、人々に火の起こし方から狩猟・農耕のやり方、衣類の作り方、集団の組織化などなど、生活のノウハウや文明を伝えていったとされています。文明化が進んでいく様子は、もちろんパネルで展示。10枚ほどのパネルは有名作家の手描きだそうで、伏羲がごっついヒゲイケメンでした。

訪問が朝の8時半過ぎということもあり、廟の手前にある広場では地元の人々が多く集まり、太極拳やダンスなどで身体を動かしていました。なにかの集団?の新年セレモニーなども。広場の地面に埋め込まれたレリーフには天水から世界有名都市への距離が刻まれ、東京までは3584kmだそうです。

ちなみに、伏羲廟の敷地内に天水市博物館歴史文物陳列館があります。が、改装・設備交換などの理由により2017年12月26日から2018年4月30日まで休館って、えええええー…。

麦積山石窟

麦積山石窟外観天水随一の観光スポットであり、シルクロードの一部として世界遺産にも加えられている麦積山石窟(天水市麦積区)。中国四大石窟の一つです。三大石窟だと雲崗石窟、敦煌莫高窟、龍門石窟で、四大になると麦積山石窟が加わります。

というわけで天水では中国の石窟はあくまで四大であり、三大などと言ってはいけないのです、多分。

天水市中心部から約50キロ、秦嶺山脈の西の入口にあり絶景絶景また絶景。天水市自体が標高1000メートル超えですが、この辺りまで来ると標高1500メートルを超えております。中国旅行恒例の登りスポット、今回はここ麦積山石窟です。昨日も山登りをしたような気がしますが多分気のせいでしょう。画像に見える山というより崖の高さは142メートル。ここに張り付いている階段と桟道、これを登りつつ仏教美術を参観します。

崖・崖・崖麓でマイクロバスを降り、電動カートに揺られて登山道の入口で降ろされます。ここから前座のような長い坂道を歩いて石窟の入り口まで進んでいきます。坂道には露店が軒を連ねていました。店の屋台の形は統一され、番号が振られているところを見ると許可制なのでしょうか。道端で立ち売りしている人は無許可…なような気がします。

北魏時代に開かれたのち宋の頃まで連綿と塑像や石像、磨崖仏が作られ、現在も残る石窟は194、仏像は大小7000あまり、壁画・天井画は約1300平方メートル。北魏の頃には300人ほどの僧侶が住んでいたといいます。東崖に54窟、西崖に140窟と構成が分かれ、東西は人ひとりがやっと通れる狭さの通路で結ばれています。小規模の石窟の大半はフェンスや扉を付けたうえで観光客に開放しています。北魏、西魏頃のものが多く目につく印象でしょうか。
長い年月をかけて続いてきたため、仏像の流行も様々。北魏時代の仏像は割と精悍かも。風化で崩れかけているものも多く見受けられます。

現在の階段や桟道は観光用に設置し直したものですが、途中、一箇所だけ隋時代の階段が残してあります。嬉々として上ったのは言うまでもありません。段差きつい。

たまに穴だけ掘ってあって仏像のいない窟があったりします。これは場所だけ用意したものの、資金援助してくれる人が現れず仏像が置かれずじまいのものらしいです。

秦嶺山脈 いい眺め
 左画像=秦嶺山脈。当サイト的には載せないわけにはいかない
 右画像=東崖にある大仏サイズの三尊像。いい眺め

麦積山石窟の説明看板は日本語併記です。素晴らしい。

街亭古戦場

街亭頂上の東屋麦積山石窟からほど近い店で昼食を取った後、マイクロバスは延々と北上を続け、麦積区から清水区を縦断し秦安県へ走ること約3時間。目的地は泣いて馬謖を斬るで有名な街亭(天水市秦安県隴城鎮麻溝村)です。

前日に続き、細いうねった山道を走る走る。そして風景は黄色い。黄土高原に足を突っ込んでいることを実感します。
あのシルクロードに登場する黄土高原に自分がいるのかと思うと!…といった妄想を繰り広げていたら、ドライバーさんがおもむろに民家の前でバスを停めて窓を開け、軒先にいた方に道を訪ねておりました。今日もか。

姜維の墓に続き、ガイドさんとドライバーさんも初訪問のようでした。気づけば裏道に突っ込んでおり、路面の凹凸に揺られながら落ちたら死にそうな崖を通り山も登り、ようやく停車。
たどり着いた頂上は…、とてもシンプルです。

東屋と石碑があるのみ。

東屋も階段も整備されて年数は浅いようで、そこそこキレイです。接近してみると、石碑の裏側には例の街亭の戦いのくだりが文章で彫り込んでありました。市か県か忘れたのですが、三国志好きの偉い人が書をしたためたとのこと。もちろん締めは泣いて馬謖を斬る、諸葛亮は自ら申し出て降格した、です。

ガイドさんの説明によれば、ここで街亭の戦いが行われたという確証はないそうです(!)。残った記録から、恐らくここだろうという推測のもとに整備したんだとか。

ここでも山頂から麓の景色を眺めます。うむ、黄色い。

そして、ちゃんと参道があるじゃないか!
ここまで登った(ドライバーさんの)苦労は一体…。せっかくなので帰りは参道を下りて帰ろうということで、景色を堪能しつつ階段を下りていきます(ドライバーさんはもと来た道を戻って麓の村で我々を回収することに)。

ところが。

立派な階段 切れる階段 村側の細道
 左画像=立派な階段があるじゃないですか、と降りてみる
 中央画像=しかし途中で階段が切れる
 右画像=その先の麓側はこんな感じ

途中で切れる階段。その先は、例によってうねった山道。
なぜこのような中途半端な状態なのか?
下山した先の農村で行き会ったお爺さんに、ガイドさんがその理由を尋ねてみることにしました。

お爺さんの話によると、「観光地化を目指して整備を始めたのだが、上から許可が下りなかったので工事が止まってしまった。しかし、もう作り始めていたものなので、天水市がとりあえずここまでは形にした」とのこと。

…貴重なお話を伺うことができました。
場所が推測だからいけないのだろうか。何とかして売り出せないものでしょうか。

お爺さんや先ほど道を訪ねた方を含め道行く人の顔の彫りが深く、回族の村であることが窺えました。街亭の戦いがあった頃はどういう風景になっていたのでしょう。

黄土高原

夕方の風景街亭古戦場を眺めた後は高速鉄道に乗って蘭州へ行くぞ!ということで、秦安駅に向かって移動開始。直線で見れば大したことない距離に見えるものの、現在地は黄土高原の山・山・山。といいますか、甘粛省は70%以上が山地や高原(ほか、砂漠約15%、残りの1割強が平地)。

秦安県の中心部まで、当初の計画では無難な道を行く予定だったようですが、ドライバーさんが走らせたのは山道・山道・山道。「ショートカットすれば走行距離を30キロ短縮できる!」ということらしいです。例によって、この道行きはドライバーさんもガイドさんも初めてのようでした。

黄色い山々の尾根伝いを走るバスが山をいくつ越えたのか。普段は見られないようなスケールの景色が続き、ずっと窓の外を眺めておりました。山々を越え、盆地のような地形の中に秦安の街並みが見えたときは、ちょっと感慨に耽ってしまいましたね。

市街地を抜けた後、秦安駅にほど近い店で夕食。メインは火鍋。そして何気ないラーメンがうまい。うますぎる。中国の麺はあっさり系スープが多く、個人的にはとても食べやすいです。箸が進みます。食べ過ぎ注意。

蘭州西駅夕食後、再び高速鉄道に乗車。天水市を離れ、甘粛省の省都・蘭州市へ向かいます。この距離が1時間強で着くのですから、交通の発達はすごい。

列車の終点・蘭州西駅で下車すると、駅でけえ!
着いたホームが21番線と、軽くホーム数が20を越えておりました。

高速鉄道の宝蘭旅客専用線はこの蘭州西駅までで、この先は蘭新線第二複線として青海省の西寧を経由し、新疆ウイグル自治区のウルムチ駅まで続いています。

余談メモ。

この日泊まったホテルは錦江陽光酒店。普通に部屋のエアコンが動かず。旅行中の一番寒い地域でエアコン無しという、割とベタな展開になりました。
あと、スタンド等の照明がつかなかったら、コード類の接触はもちろんのこと、電球が緩んでいないかどうかも確認してみよう。


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