兵馬俑坑→→華清池→→大雁塔→→陝西歌舞大劇院
兵馬俑坑(秦俑博物館)/ドイツ人留学生を探せ!
再びやってきました兵馬俑坑。欧米人観光客多し。
以前より見られる区画が減った…というか、一部埋め戻したとのことです。俑が外気に触れると彩色が消えてしまうから。土色の俑は、本当は綺麗に色が付けられていたとか。色の付いた俑が立ち並ぶさまは、さぞ圧巻だったことでしょう…。
そんな感傷もありつつ、第一坑の奥に並べられた組立修復中の俑が並ぶ場所に差し掛かったとき、Sさんがぽかりと空いた最後列中央(左上写真)を指して言いました。
「あの場所にドイツ人留学生が立っていました」
ほぼ2年前の2006年9月16日、大の兵馬俑ファンなドイツ人留学生が、その愛が昂じてコスプレ衣装を制作、メイクも施し(というか泥を塗り)、展示されている兵馬俑群の中に紛れ込んでしまった事件がありました。当時は大騒ぎになったとか。
兵馬俑に被害がなかったことと、愛ゆえの行動だったことで厳重注意で済んだらしいですが、欧米人観光客の多さとあいまって、兵馬俑の世界的知名度の高さを感じました。ついでに言うと、その留学生が立っていた近辺に警備員が配置されるようになっていました。
ところで、留学生の立っていた場所をそのまま空けているのは、話のネタにするためですか?
ミュージアムショップ内では、発見者の楊志発先生が、以前と変わらずムック購入者にサインと握手をしておられました。
前は気付かなかっただけかもしれませんが、クリントン大統領(当時。以下同)との握手写真が先生の背後の壁に飾られていました。しかも先生の年表まで! 何年に生まれて何年に何をして…というやつ。しかし元農民のためか項目が少なく、かなり短い年表でした。生まれ年→学歴→結婚→共産党歴→兵馬俑発見…という感じだったかな?
Sさんの説明によれば、発見はしたものの、歴史的意義にまだ気付かず出土品を家に持ち帰ってしまった先生、国からおとがめを受けそうになってしまい(土地はすべて国有なので、出土品も国のもの)、それを大発見の功績でチャラにしてもらったのだとか。
それ以降、発見者の存在はあまり顧みられてこなかったのですが、クリントン大統領が訪中した際に「発見した人に会ってみたい」と言ったことから楊先生が呼ばれ、それから表に出るようになったのだそうです。
観覧終了後に敷地の外へ出ると、出口の先に、以前はなかった商店街(?)の街並みが延々と…。半分ほどは空き家でしたけども。さらに、建物の前に林檎売りが延々と…。写真を撮ろうと立ち止まると売り子に取り巻かれそうだったので、というか、歩いてるだけでも取り巻かれ、ここで何か撮る勇気はありませんでした。
その商店街の建物というのが、一応兵馬俑坑の付属施設という感じにしたいらしく歴史風になっていました。でもそれが逆に、周囲の景色から浮き上がっているように感じられ…。それが本当に延々と……途中に噴水広場もあったりして。派手な看板も多数。
Sさん「テーマパークにするそうなんですけど、やりすぎです」。
西安在住のSさんが「やりすぎ」と評する演出っぷり、どれくらいのものか察してください。。。
余談メモ。
陝西の9月は林檎が旬。気温が低いためにミカンは育たないんだとか。ここ以外にも、林檎売りの露店が至るところに出ていました。
昼食は敷地内のレストラン。刀削麺、拉麺の実演つき。陝西の麺うまー! 欧米人団体客率が高く、兵馬俑坑でさえ日本人観光客をほとんど見かけず。本当に日本人減ったなぁと実感しました。
華清池/昼に来ると逆に寂しい
ここも再訪になります。以前が冬だったので景色もだいぶ変わ……って、本当に変わりすぎ!
池の中に舞台が仕込んである!!
Sさん「夜、ここで玄宗と楊貴妃のショーをやるんですよ」。夜は舞台もあまり見えないし、ショーが行われているぶんにはいいかもですが、昼間に見るとなぁ…。最初からこういう状態で見ればいいのでしょうが、なまじ普通の池だった頃を知っていると。うーん…。
あまりに池の風情がどこかへいってしまいました…; そこでSさんが一言。
「やりすぎです」
何が、とは聞きますまい。
といいますか、冬は池に氷が張っちゃうんですが、装置はどうするんだろう?
そのほかの風呂施設には特に変化はなかった気がします。個人用としては大きすぎる李世民専用風呂で、彼が何をしていたのかについてMさんと語り合ってみたり。個人的には泳いでいそうなイメージ。たぶん泳げないんじゃないかと思いますが、それでもそんなイメージ。風呂の縁につかまってバタ足とか。
楊貴妃像風呂を見て回った後に、中庭に出てみれば、池を追い出された……もとい、場所を移された楊貴妃像がありました(右写真)。敷地のかなり奥なんですが、ここ。お触り自由になったので、へばりついてツーショット写真を撮っている人もいました。親しみが…増したのか?
変化といえば、楊貴妃専用パウダールームの建物が、思いっきりツタというか葉っぱに取り巻かれていました。何でだろう。
Sさんによれば、『楊貴妃は馬嵬で殺されていなかった』という義経=チンギスハーン説ばりの伝説があるそうで。蜀から長安へ戻る玄宗が馬嵬に差し掛かったときに楊貴妃の墓を掘らせてみたら、何も出てこなかった…と。楊貴妃は日本に逃れて、山口県に墓がある、と。
あと、今回は西安事変の現場も見られました。壁や窓ガラスに当たった銃弾跡も保存してありました。
大雁塔/変わったのは景色
久しぶりの大雁塔。
2007年、大雁塔のそばに「大唐芙蓉園」というテーマパークが開園し、周辺地域一帯が唐テーマパーク化しているという話ですが、今回も大雁塔に上ったのみ。城壁内から大唐芙蓉園行きのバスも出ているので、いずれ行ってみたいものですが!
そんなわけで、再び大雁塔の階段を上りました!
こういう「登り系」は好きで、剣門関の急な道を上ったときのことも思い出してウキウキ(死語)しながら階段を上ってました。階段の勾配が急なのもまた楽し。
写真の下の方に写っている入り口に架かっている「大雁塔」の文字、相当に有名な人が書いたものだそうです。名前忘れちゃったorz 知ってる名前だったので、聞けば思い出すんじゃないかと思うのですが。
大雁塔自体はそんなに変わっていないようにも思えましたが、四川大地震で西安も非常に揺れ、建物にヒビが入ってしまったのだとか。修復点検のため2ヶ月ほど塔内公開が中止され、8月から再開されたそうです。Sさんは、2005年夏に東京で震度5の地震があったときに来日中だったそうで、その時のことを「怖かった!」と話していました。
ワンフロアごとに四方の景色を眺め、各窓からの景色を撮影してみて思ったのが「曇ってるというか…スモッグ??」。実際に曇ってもいたのですが、その空気の靄っぷりはそれだけじゃないだろうと(右写真の下)。
すごい色だな……前に来たときは、前日に雪が降ったので緩和されていたのかなー…。さらに、空気が乾燥しているので、個人的に水・のど飴・うがい薬は必須。ッペットボトル入りの水は現地の人も携行率高いです。水道水が飲めないという理由だけではないらしい。
あと、工事現場が多く、高層建築が増えました。Sさんはまた「建て過ぎです」とバッサリ!
城壁の外に出ると、非常に高層マンションを多く見かけます。歴史ある街・西安のことですから、地面を掘っていると、なにか掘り当てそうな気もします。
余談メモ。
玄奘三蔵の遺骨は分骨に分骨を重ね、一部はなんと埼玉県さいたま市岩槻区にもあるとか。他にも、遺骨を所蔵する日本のお寺があったような…。もちろん中国にも。Sさんの説明を聞いていたら、8箇所くらいには分かれていそうな気がしました。逐一、場所も説明してくれたのですが、埼玉しか覚えられませんでした。旧岩槻市をきっちり「さいたま市」と呼んだSさん、吸収合併されたことを知っているとは…。
陝西歌舞大劇院/慌しい夕食
本来はここで夕食のみの予定でしたが、オプション(250元)でショーもくっつけることに。
ショー開演の1時間ほど前に会場入りし、それまで「餃子宴」という名前の餃子コースを食べるわけなんですが。
500人くらいは入りそうなキャパの劇場客席内にいくつもテーブルが並べられ、欧米人観光客で大盛況。これ全員餃子食べる人たち。 つまり、餃子が大量生産ってことですね。劇場内に厨房があるようでしたが(有名餃子店「徳発長」の指導を受けたそうです)、蒸し餃子がちょっと乾いていたりとか、やや冷めかかっていたりとか。いや、まあ、美味しかったですけど!
後ろにショーが控えていて、その開演時間は押せないということで、しばらく経つと料理を下げに来る; 残っていても持っていかれる; 非常に急き立てられながらだったので、あまりゆっくりはできず…。とはいえ、途中でお茶が途切れたりしつつも配膳漏れ・遅れはなかったので、よしとしたいと思います。
完全に料理が片付けられた後に、陝西歌舞大劇院のショー開始。唐をイメージした踊りと楽器演奏が中心。きらびやかで綺麗! 皇帝風の服装をした男女が出し物ごとに、開始前に中国語(男性)と英語(女性)で内容説明も。前は中国語の男性だけだったような気が……英語は館内放送だけだったような…。
このショー、前にも見ているはずなのですがほとんど覚えていなかったので(その時はショー観覧だけで餃子はなし)、新鮮な気分で見られました。
しかもココ、舞台撮影OKでした。太っ腹すぎるよ中国。しかし日本では舞台撮影は厳禁なもの……舞台写真掲載は気が引けるので、代わりに一部の餃子の写真。よく見ると餃子の皮の端っこが乾いているのが;
前になかったといえば、アンケート用紙!
5段階評価でチェックつける簡単なもので、ショー、食事、接客、テーブルセッティング、トイレの5項目。トイレの綺麗さがアンケート対象になっているあたりが中国らしい(笑)。「アンケート」と言いつつ記名式だったんですけどね。予約した旅行会社名まで書いてあったので。
そんな感じで、絵日記2日目は→コレ。
余談メモ。
終演後に劇場を出るとSさんが劇場の横に立つ古い建物を指して、「ここは(出演者の)寮です。あの人たちは、小さい頃から練習しています」と教えてくれました。窓の間隔からして、一部屋一部屋が狭い様子。綺麗な舞台の裏側…って感じだなぁ。皆さんは国家公務員扱いなんだそうです。