2日目・レッツゴー墓場

武侯祠→→諸葛双忠祠→→ホウ統祠→→蒋琬墓→→富楽山

武侯祠/柏の木は残った

切り株04年末にも訪れた成都の武侯祠。概要や像の配置は冬の記録を参照していただくとして、前回は気付かなかったことがありました。

本尊(?)の武侯祠の奥に劉備たち劉家を祀っている祠があるのですが(そのさらに奥に劉備の墓があります)、中央に大きい劉備の像、右側に劉ェの像……不自然に空いた左側の空間……。武侯祠に劉禅の像がないのはかなり有名ですが、そこは劉禅スペースだったのです。そして代わりに置いてあったのが切り株(左画像)。劉禅オブ切り株!

かなり大昔のロンパールーム伝説(※)を思い出しました。

※ロンパールーム伝説
聞いた話ですが、昔の生放送幼児番組で司会が「《き》の付く言葉を言ってみて」と振ったところ、ある男の子が放送禁止用語を連発。画面がふいに「しばらくお待ちください」と変わり、番組が再開されてみれば男の子の姿はなく、彼がいた席にはヌイグルミがぽつねんと置かれていたんだとか。

この次の日に行く翠雲楼という場所に「降伏して魏に向かう途中だった劉禅が、雨宿りした柏の木」というのがあるのですが、その辺のエピソードも考えた選定なのでしょうか……と言いたいところなんですが、「放置」と形容するのがいいようなテンション低い置き方を見ると、そうでもなさそうです(笑)。でも、皆が触っていくために切り株は随分とテカっていまして、長いこと置いてあるのは確かです。「劉禅=切り株」と考えていいと思います(真顔)。
ちなみに、置かれている木の種類はよく分かりませんでした。

本尊あとは、前回は時間の都合で入ることのできなかった三国文化陳列室にも入りました。
もちろんそこは三国志関連の物が大集合。当時の物や三国の主要官職パネルの展示もあって、やっぱり本場はいいなぁと思うわけですが、なぜかそこには歴代王朝女性服飾パネルも。資料になるかもと写真は撮ってきました。

陳列室には、NHK人形劇三国志に登場した諸葛亮人形も展示されていました。人形の実物見るのは初めてなんですが、結構大きいんですね。1メートルくらいありそう。成都の武侯祠に寄贈したって話は聞いてたんですが、ちゃんと展示してくれてるんですねぇ。
が、しかし。人形劇三国志のファンというMさんは「偽物だよこれ」と断言。ガイドのJさんは特に否定もせず肯定もせず。コラコラ。
さらに展示してあったのが「青龍堰月刀」…の刃の部分。Mさんはそれを見て「これ、関羽が使ってたやつ?」。Jさん「そうです」。Mさん「あれ、でもパネルに《明》って書いてあるね」。Jさん「それは、明の時代に見つかったってことです」。…コラコラコラ。

入場料/48元

諸葛双忠祠/隠し砦の三罪人

諸葛さん諸葛双忠祠。
諸葛譫と尚が祀ってあるところです。一応説明しますと、諸葛亮の息子が譫、孫が尚です。

この祠、学校の中にありました。夏休み中なので子供はいなかったんですが、周囲に住んでる大人がチラチラと。左画像は祠正面、戦う親子たち。正面から見ると勇ましいです、美しいです。

が、この裏側に回ると、首枷付けられてしゃがみ込む三罪人の像。

三罪人 諸葛さん
諸葛さん達と完全に像の作風が違います。対比用に左上写真の左端の人アップも置いてみました。誰なのかはっきり分かりませんでしたが、若いので尚かもしれない。

顔の造形もそれらしく…罪人っぽく・情けなげな風に作ってありますね。
この3人は劉禅、ケ艾と……あと1人誰だったっけ…ケ忠だったかなぁ……衛カンだっけ……魏軍の誰かなのは確かですが、忘れてしまいましたスミマセン。劉禅はともかく、魏の人までこうなっちゃうかー。ケ艾の扱いはかなり色々ですね。 この像の奥には諸葛親子の墓もあります。上画像の奥に写ってるのですが、白飛びして分かりづらいですね; 黄色い鎧を着た2人組の左にいる人が持った盾の横に石碑が見えてます。学校の中に墓…。

ホウ統祠/SING LIKE SLEEPING(意味不明)

ホウ統墓次に行ったのはホウ統祠。
一つの寺(いや・寺とは言わないと思いますけれども。むしろ道観か)の境内かという感じで、広かったです。「静かさや」といった感じで、のどかな空気が漂いまくった場所でした。他の観光客があまりおらず、静かだったせいかもしれません。

が、墓の前に寝ている1人のおじさん…いや・おじいさん? 白髪の毛が爆発気味の、かなり年齢不詳な年配の男性。が、寝ていたはずの男性は、我々が近づくとむっくりと起き上がり、歌を朗々と歌いだしました。多分、ホウ統のこと歌ってるんだと思います。男性の前にはお金を入った小さな籠があり。彼が何をしているのか、もうお分かりではないかと。ストリートミュージシャンみたいな! それで生計立ててると思われ、激しく歌い慣れしていました。ずっと墓の前で歌ってきたんだろうと思われます。

ホウ統の墓(右上画像)は、高さ約5メートル・直径約10メートル。モンゴルのゲルみたいな形をしてます。明末の戦乱で壊され、清の康熙30(1691)年に再建されたものを、さらに1983年に修復したものとのこと。墓の周りを3周回ると、頭がよくなるんだそうです。私も回ってきました(笑)。

入場料/10元


蒋琬墓(子雲亭風景区)/大将軍オンステージ

蒋琬像続いて蒋琬墓。

「公園の中に墓がある」といった趣の場所でした。広かったです。公園面積は約400畝。園内には道観や四川省や綿陽市の文化財が展示された場所もあり、歴史公園みたいな場所でした。「恭侯祠」という場所もあり、存分に祀られています蒋琬。しかも銅像も建っています(写真)。像の後ろにあるのも、もちろん蒋琬スポット。なかなか威厳があって渋い姿です。…キャラクター的にどうなんだ蒋琬(要職に就けないと働かないとか・笑。いや、割と破天荒要素もあって好きですが)。しかし、こんな大々的に祀られててすごいです。

ここにも蜀の武将・文官が描かれたパネルがありました。例によって末期人物しか撮ってないのです。私には、全部撮る気力とメモリーとバッテリーがなかったです;

入場料/2元


富楽山・富楽堂(フ城)/語れ学級会のように

五虎大将像211年に蜀にやってきた劉備と、劉璋が会談を行った場所だそうです。劉備が蜀の地を望んで「豊かだ!」と褒めまくったので「富楽山」の名がついたとか…。

「山」という名の通り、登っていって麓を見下ろすと景色がいいです。今も綿州でナンバーワンだそうで。ここも公園みたいになってました。富楽山には五虎大将のでっかい銅像(写真。大きさは右下に写ってる親子連れを参考に)と、蜀漢四英の銅像(こちらは割と普通の大きさ)もありました。四英は四相とも言い、諸葛亮・蒋琬・費禕・董允だそうです。

富楽堂の大体の形が出来たのは宋代、ここも明末の戦乱で壊され、清代に修復。さらに1989年に作り直し。多数の銅像は、この時に作られたものなのでしょうね。

で、「銅像」といえば、やっぱり再現してありました劉備と劉璋の会談風景。和やかに酒を酌み交わす劉備と劉璋、それを非常に渋い顔つきで見ている双方の部下たち。どのくらい渋いかというと、本気で眉間にしわ寄せしてるくらい。銅像の無彩色寒色っぷりが、寒い空気にフリーズしてるようにも見えます(違)。画像は手前左からホウ統、黄忠、魏延。後ろの人は兵卒…ですかねぇ、名前がなかったです。劉璋側の部下は法正、張任、劉[王貴]。こちらも負けずに渋い顔のフリーズっぷり。ステキです。しかも名札がなんとなく学級会っぽくて笑いました。

自分の中だけで妙にウケたので、宴会写真一挙掲載してみました。

劉備と劉璋の会談
左画像=蜀側メンバー。手前左から、劉[王貴]、張任、法正
中央画像=手前左に劉璋、右に劉備
右画像=劉備側メンバー。手前左からホウ統、黄忠、魏延
どの画像も後列は兵士&侍女

なんて楽しくなさそうな宴会なんですか。


ホテル/メモが無い

富楽山までで、2日目の観光は終了。夜は綿陽市の長虹大飯店に宿泊です。グレードは三星級。アメニティも基本アイテムはクリア、バスローブも付いてるので寝巻きもオッケー。が、しかし。お湯が出ない。いや、下からは出るけどシャワーが出ない。説明通りにやっても出やしない。もう「お湯さえ出ればいいや」の心境だった私は、取り敢えずそのまま入浴。後から判明したところによると、力任せにシャワーコックをひねれば出るらしいです。体力不足を露呈したというか設備に遠慮したというか。

その辺は解決したようですが、2日目にして早くもメモがきは無し。なぜならばSさんがカードキーを引き抜いて出かけていったから。
カードキー式のホテルって、部屋の総電源スイッチも兼ねてたりしますよね。室内ブラックアウト。


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