2日目・聖地、曇天模様の空の下

楽山大仏→→武侯祠→→杜甫草堂

気候

四川省の空(都江堰)冬の四川は重たげなモノトーンの色彩でした。
昼間でも、右写真のような曇り空。さらに湿度が多く、なんだか日本海側を思い出しますが、日本海側との大きな違いは、雪がほとんど降らないことです。ガイドさんが断言してました。「雪は滅多に降りません」って。

年末年始といえどオフシーズンで観光客も少ないそうです。しかし、蜀末スキーの脳味噌に季節のネックなどあろうはずもなく。いやむしろ命日は冬だし! 現実的にも空いてていいです……たまに工事中だったりしますが。

※画像は曇天模様の見本。撮影場所は3日目に行った都江堰です。

楽山大仏(世界遺産)/世界一を極めし石仏

楽山大仏凌雲寺の楽山大仏は、唐の玄宗期に凌雲寺の僧・海通を主導として作られまして、高さ71メートル・幅29メートルあり世界最大の石仏だそうです。大渡河と青衣江という2つの川が出合って岷江となる地点にありまして、水害が起こらないよう祈念するためのものとのこと。

石壁を彫って作ったもので、まるで壁の間に埋まってるような感じです(笑)。野外なので、周りの自然と併せて見ると壮観。

目下に流れる川を見守るようにそびえ立ってるので、舟から見上げるのも壮観でした。今は川に浮かべる舟から見上げられるのですけど、そのうち大仏に屋根をかけて&壁を設け、外からは顔しか見えないようにする予定らしいです。景観的にはもったいない話ですが、保護のためには仕方ないですよね…。

楽山大仏の顔登山道のようなものがあって、頭の周りも(上写真の山のてっぺんのあたり)間近で見ることができるのですが(右写真)、大仏といえばパンチパーマのようなあの髪型。

ここの大仏も例にもれませんが、他の大仏と一味違うのは!
髪の毛の渦巻き部分に、排水構造が仕込まれていることッ!

浸透してきた雨水をそこで吸収し、耳の穴から排水するのでした。大仏の立地条件を考え尽くしたこの構造のすごいところは、これが1300年以上も前に作られたシステムだということでしょうか。

余談メモ。

この後に昼食のために入ったレストランでは、楽山市の式典(何のかは不明)が行われるために、ロビーにお偉いさんが歩くための赤絨毯が敷いてありました。

武侯祠/蜀末スキー本領発揮

張翼説明も不要と思われますが(笑)、武侯・諸葛亮を祀った祠堂です。途中、劉備の廟と統合されたりもしましたが、武侯祠そのものは1500年以上の歴史を持つのだそうです。蜀ファンの人にとっては聖地と言えましょう。

諸葛亮だけでなく、主君・劉備をはじめとした蜀の主な文官・武官の像がズラッと並んでいるのが壮観です。像は清代に作られたもので、有名どころはほぼ網羅されてましたが、その中に傅僉がいたのが個人的にツボヒット。しかも父親の傅トウ(傅ユウ)もいる! この人選、やはり皆さん分かっていらっしゃる!(何) 劉ェの扱いがとってもよかったり(劉備の隣に像がある)と、劉備or蜀漢に尽くしたり・殉じた人の扱いがいいのですね。ちなみに、劉禅の像はないとのこと。何度作っても壊されてしまうんだそうです。どういう像だったのか、ちょっと見てみたい気もしました。…いや、見るだけですけど……。

上写真は張翼です。ツアーなもので駆け足鑑賞になってしまいましたが、私だったらここで1日潰せると断言。資料館もあったんですよ、入りたかったッ!

帰国後にいただいた情報によれば、文官・武官像の並びには序列があるそうです。生前の役職冠位だけではなく、後世の評価も判断基準。なので、正史に伝がない人の像もあったりしました。

いただいた情報による文官・武官像の並び順。ともに奥から。

文官像
ホウ統 → 簡雍 → 呂凱 → 傅ユウ(傅トウ) → 費禕 → 董和 → ケ芝 → 陳震 → 蒋琬 → 董允 → 秦ミツ → 楊洪 → 馬良 → 程畿

武官像
馮習 → 張南 → 張嶷 → 馬忠 → 傅僉 → 尚寵 → 廖化 → 黄忠 → 姜維 → 王平 → 馬超 → 張翼 → 孫乾 → 趙雲

文官はホウ統、武官は趙雲が最上位扱いと思われます。

余談ですが、本場・中国の三国志で何が安心できるかって、五丈原で終わりじゃないこと。自国の歴史という思い入れが感じられるのもさることながら…です。また、成都で唯一日本人観光客を見かけたのがここ。個人旅行とおぼしき3人組でした。ホントにオフシーズンなんだわ…。

余談メモ。

敷地内には劉備の墓もあり、外観をぐるっと回ってきました。日本でいえば円墳を石壁で囲ったような感じでした。

杜甫草堂/気分はワビサビ、禅の境地

杜甫の家その名のとおり、唐の詩人・杜甫の家。安史の乱の際に蜀に疎開した杜甫が住んでいた場所です。楽山大仏といい、唐がらみのスポットが多いですね。
当時の家は残っておらず、復元で再現されています。ほかにお堂もあり、杜甫の像や李白との交遊を示した展示物などもありました。博物館もあるらしいのですが、入ってません…(T_T) ツアーなので仕方ないですが、記念館のようなものは結構スルーしてます。とほほ。

写真は、復元された杜甫の家。ひたすらワビサビ気分が味わえます(笑)。庭には石造りの碁盤もあったりして。


成都・蜀漢食事事情/もったいないオバケ定住

四川の料理は辛い……そんなイメージをまったく裏切らない名物料理が次々と出てくる、出てくる、出てくる……皿には山盛り、山盛り、山盛り……量、多すぎ! 中国では残すことが美しい(完食すると足りなくてお代わり要求してんのかと思われる&客が食べきれないほど出すのがもてなし)とはいえ、2人前でこの勘定はありえねーッ! 日本だと4〜5人前レベル。半分も食べきれずに「もったいない」と呟く、もったいないオバケが降臨しそうな心境の私がそこに。

話脱線…。
四川料理として最も有名なのが麻婆豆腐! この日の夕食が、元祖にして真の本場モノ「陳麻婆豆腐」。清の時代に麻婆豆腐を発明したのが陳という女性だったそうで。ガイドさんによれば、「麻」の意味には「あばた」と「しびれる」の2つがあり、「あばたの陳おばさんの豆腐」という語源に「しびれる」という意味が重ねてあるそうです。何故にしびれるのかといえば、中国の麻婆豆腐はものすご〜く山椒が利いてるから。口の中がビリビリします。最初は辛いわしびれるわでしたが、慣れというのは恐ろしいもので…(笑)。
出された料理は総じておいしいので、やめどき=満腹=食いすぎ。

上に書いたとおり、三国時代に麻婆豆腐はなかったことになります。
なのに、麻婆豆腐を食べながらSさんが推進した会話は「麻婆豆腐の辛さに動揺する夏侯覇」「四川料理に夏侯覇カルチャーショック」「そんな夏侯覇を見て笑う姜維」……などなど。さらに私が返した会話が「じゃあ姜維が蜀に来たときだって」「姜維だったら動揺しながらも表情に出すまいとしそうだ」「そんな姜維を見て笑う丞相」。
…やっぱり行き着くところはそこ?

蜀漢は外様が多いので、いろんなシーンに応用できそうです。


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